系統的無機定性分析において、銀(I)イオン(Ag+)は第Ⅰ族に属し、塩酸溶液中で白色の塩化物沈殿を作って、第Ⅱ族以下の元素から分離されます。AgClの溶解度に対する塩酸の影響については以前(2019-04-08, 2019-04-09)このブログで取り上げましたが、このときはイオン強度(活量係数)の影響については言及しませんでした。今回は実測の平衡定数データを基に、イオン強度の影響も含め、AgClの溶解度に及ぼすHCl濃度の影響についてもう少し詳細に調べます。   


様々なイオン強度における平衡定数値を-1に示します(出典:R. M. Smith and A. E. Martell, "Critical Stability Constants"および化学便覧)。以下、この値を用いて話を進めます。   

-1
2021-08-29-fig1

Ag-Cl系の関係式>
平衡式は、
Ag+
Cl- AgCl(aq)
Ag+
2Cl- AgCl2-
Ag+
3Cl- AgCl32-
Ag+
4Cl- AgCl43-
Ag+
Cl- AgCl(s)   

錯生成定数は、
β1 = [AgCl]/([Ag][Cl])
β2 = [AgCl2]/([Ag][Cl]^2)
β3 = [AgCl3]/([Ag][Cl]^3)
β4 = [AgCl4]/([Ag][Cl]^4)   

溶解度積は、
Ksp = [Ag][Cl]
   

AgClに関する沈殿平衡が成立するとき、それぞれの化学種の濃度は、
[Ag] = Ksp/[Cl]
[AgCl] =
β1[Ag][Cl]
[AgCl2] =
β2[Ag][Cl]^2
[AgCl3] =
β3[Ag][Cl]^3
[AgCl4] =
β4[Ag][Cl]^4
となります
(*1)
(*1) 塩酸溶液中での平衡なので、銀(I)の水酸化物の生成については無視する。   

<イオン強度の影響の評価方法>
活量係数補正には次式のような「修正デービス式」を用います。
logγ = 0.5×z^2×(μ/(1+μ)k'μ) (k'は実験値の回帰式から求めた値)
したがって、
1
価イオンについては、logγ1=-0.5(√μ/(1+√μ)k'μ)
2価イオンについては、logγ24logγ1

3価イオンについては、logγ39logγ1
無電荷種については、logγ00
各平衡定数は、
β1 = β1o/(γ0/
(γ1γ1)) = β1oγ1^2
β2 = β2o/(γ1/
(γ1γ1^2)) = β2oγ1^2
β3 = β3o/(γ2/(γ1γ1^3)) = β3o
β4 = β4o/(γ3/(γ1γ1^4)) = β4o/γ1^4
Ksp = Kspo/(
γ1γ1) = Kspo/γ1^2
Kw = Kwo/(
γ1γ1) = Kwo/γ1^2
となります。
  

修正デービス式のk'の求め方は次の通りです。
log
γ = 0.5×z^2×(√μ/(1+√μ)k'μ)
各平衡定数について、モデル式のk'に初期値を与えて求めたlogβ(cal)と実験値のlogβ(exp)(-)との偏差平方和(E^2)を求め、この偏差平方和が最も小さくなるようなk'値をエクセルのソルバーによって求めます。
E = log
β(cal)logβ(exp)
E^2 = (logβ(cal)logβ(exp))^2
目的セル:偏差平方和(E^2) (目標値:最小値)
変数セル:k'   

実験値として、β1, β2, Ksp, Kwについては"Critical Stability Constants"の値を用い、β3, β4については"Critical Stability Constants"および"化学便覧"の値を用いました。結果を-2に示します。   

-
2021-08-29-fig2

β1, β2, Ksp, Kwに関しては、k'はそれぞれ0.23, 0.22, 0.34, 0.28となり、ほぼデービス式(k=0.2または0.3)を満足する値となりました。溶解度の計算にはこれらのk'値をそのまま使用しました。

β3は本質的にはイオン強度とは無関係になるはずですが、実際はμ=0とμ=5の値が異なるので、次式で補正しました。
β3 = β3ok''μ
β4k = 0.11となり、
デービス式のk値からはかけ離れた値となりました。
β3, β4は、データ数が少ないので(μ=0とμ=5の2点のみ)、式の信頼性に問題が残りますが、この値を使用しました。   

HCl溶液に対するAgClの溶解度>
05 mol/L塩酸溶液に対するAgClの溶解度を求めます。
与件として塩酸濃度(Cc)を与え、次の
パラメータ設定を行い、pH, pCl μoに適切な初期値を与えてソルバーを実行し、AgClの溶解度[Ag](=S)を求めます(*2)
(*2) 沈殿平衡が成立するので、[Ag]=Ksp/[Cl]が成立する。また「溶液中の塩化物の全物質量」は「溶媒の塩酸溶液および溶解したAgClの塩化物の物質量の合量」なので、[Cl]=Cc[Ag]が成立する。
 ・目的セル:電荷バランス、Q = 0
 ・変数セル:pH, pCl, μo (pCl=-log[Cl])

 ・制約条件R1 = [Cl](Cc[Ag]) = 0, 
       R2 =
μcalμo = 0   

計算結果の抜粋を-3に示します。また、塩酸濃度(Cc)AgClの溶解度(S)の関係(logCclogS)-4に示します。   

-
2021-08-29-fig3

-
2021-08-29-fig4

たとえば、Cc=0.0010.01 mol/Lの塩酸に対するAgClの溶解度は67×10^-7 mol/Lと難溶性ですが、Cc=5mol/Lのときは4×10^-3 mol/Lと溶解度が増加します。