前々回(2022-05-22)、前回(2022-0529)とキレート抽出平衡について考えました。今回はイオン対抽出です。たとえば、金属イオンが配位子と電荷を帯びた錯体を作るとき、そのままでは有機相に抽出されませんが、ここに反対の電荷を持った特定のイオンを加えると、イオン対を作って有機相に抽出されるようになります。このような抽出を「イオン対抽出」といいます。このイオン対抽出の平衡について考えます。
<<イオン対抽出の例>>
金属イオンのイオン対抽出では、金属を含む陽イオン(または陰イオン)が対となる陰イオン(または陽イオン)とイオン会合体(=イオン対)を作って有機溶媒に抽出されます。以下、いくつかのイオン対抽出の例を示します。
(1) クラウンエーテル-カリウム錯体(+) vs ピクリン酸イオン(-)
アルカリ金属イオンはクラウンエーテルと錯体を作ります。たとえばカリウムイオンは18-クラウン-6と安定度の高い錯体を作ります(下図)。
これは18-クラウン-6の空孔径がカリウムイオンのイオン径によく合っているためです。この錯体はピクリン酸イオンとイオン対を作り、1,2-ジクロロエタンなどの溶媒に抽出されます。この抽出平衡の詳細は次の項で述べます。
(2) トリスフェナントロリン-鉄(Ⅱ)錯体(+) vs 過塩素酸イオン(-)
鉄(Ⅱ)はフェナントロリンと反応してトリスフェナントロリン-鉄(Ⅱ)([Fe(phen)3]2+)の陽イオンキレート錯体を作ります。これに過塩素酸イオンが共存すると、イオン対を作ってニトロベンゼン等の有機溶媒に抽出されます。
Fe(phen)3^2+ + 2ClO4-
⇄ [Fe(phen)3・(ClO4)2]o
(3) 鉄(Ⅲ)の塩化物錯体(-) vs 含酸素溶媒(+)
ジエチルエーテル、メチルエチルケトン(MIBK)、酢酸エチルなどの酸素原子を含む溶媒は水素イオンに配位してオキソニウムイオン(R2O)nH+を作ります。酸性で陰イオン錯体を作る金属イオンはオキソニウムイオンとイオン対を作って抽出されます。たとえば、鉄(Ⅲ)は塩酸溶液からジエチルエーテルに[(C2H5)2O]3H+・FeCl4-として抽出されます。
(4) 鉄(Ⅲ), 亜鉛(Ⅱ)の塩化物錯体(-) vs トリ-n-オクチルアミン(R3N)(+)
Fe(Ⅲ), Zn(Ⅱ)の塩酸溶液からFe(Ⅲ), Zn(Ⅱ)はトリ-n-オクチルアミン(R3N)のキシレン溶液に抽出されます。抽出機構は次のように考えられます。
塩酸をR3Nのキシレン溶液と振り混ぜるとR3Nはプロトン付加して陽イオンになり塩化物イオンとイオン対を生成して有機相に抽出されます。
(R3N)o + H+ + Cl- ⇄ (R3NH+・Cl-)o
(R3NH+・Cl-)oは、たとえばZnCl2,
FeCl3と反応して、(R3NH+)2・ZnCl42-あるいはR3NH+・FeCl4-というイオン対として有機相に抽出されます。
2(R3NH+・Cl-)o
+ ZnCl2 ⇄ [(R3NH+)2・ZnCl42-]o
(R3NH+・Cl-)o
+ FeCl3 ⇄ [R3NH+・FeCl4-]o
(5) 硝酸ウラニル vs リン酸トリブチル(TBP)
ウラニルイオン(UO22-)の硝酸溶液をリン酸トリブチル(TBP)と振り混ぜると、ウラニルイオンはUO2・(NO3)2・(TBP)2として有機相に抽出されます。
UO22-+ 2NO3-
+ 2(TBP・H2O)o ⇄ [UO2・(NO3)2・(TBP)2]o
+ 2H2O
その他、KMnO4-とテトラフェニルアルソニウム、GaCl4-とローダミンBなど様々なイオン対抽出があります。
イオン対抽出においては陽イオン、陰イオンともサイズが大きく、電荷の小さなイオンほど有機相によく抽出され、また用いる有機溶媒も比誘電率の高いものの方が、抽出率がよいことが知られています。
<<クラウンエーテル-アルカリ金属-ピクリン酸の抽出平衡>>
CM
mol/Lのカリウムイオン(M+)およびCX mol/Lのピクリン酸イオン(X-)を含む水溶液V mLにCL mol/Lの18-クラウン-6 (L)を含む1,2-ジクロロエタン溶液V mLを加えて抽出をおこないます。このとき次のようなイオン対抽出モデルを考えます。ピクリン酸はかなり強い酸(pKa = 0.38)で中性~塩基性ではほぼ100%解離しています。
(a) 有機相の18-クラウン-6, LoはLwとして水相に移る。
(b) 水相中で1価のカリウムイオンM+が中性のLwと錯体ML+を作る。
(c) 錯体ML+はピクリン酸イオンX-とイオン対MLXwを作る。
(d) MLXはMLXoとして有機相に移る。
(e) カリウムイオンM+は対イオンX-とも錯体MXを作る。
これ以外の反応ついては無視します。
このとき、次のような平衡が成立します。
(a) Lの分配:
Lw ⇄ Lo
KdL = [L]o/[L]w …①
(b) ML+の錯生成:
M+ + Lw ⇄ ML+
βL = [ML]/([M][L]w) …②
(c) イオン対の生成:
ML+ + X- ⇄ MLXw
Kass = [MLX]w/([ML][X]) …③
(d) MLXの分配:
MLXw ⇄ MLXo
KdM = [MLX]o/[MLX]w …④
(e) MXの錯生成:
M+ + X- ⇄ MX
βX = [MX]/([M][X]) …⑤
抽出平衡は、
M+ + Lo + X- ⇄ MLXo
Kex = [MLX]o/([M][L]o[X]) …⑥
①~④を用いて、⑥を変形すると、
Kex = KdMKassβL/KdL
となります。(*1)
(*1) ④から、[MLX]o = KdM[MLX]w
この式と③から、
[MLX]o = KdM[MLX]w = KdMKass[ML][X]
この式と②から、
[MLX]o = KdMKass[ML][X] = KdMKassβL[M][L]w[X]
この式と①から、
[MLX]o = KdMKassβL[M][L]w[X]
= KdMKassβL[M][L]o[X]/KdL
この式を⑥に代入して、
Kex = [MLX]o/([M][L]o[X]) = KdMKassβL/KdL
物質バランスは、
CM = [M]+[ML]+[MX]+[MLX]w+[MLX]o = [M*]
CL = [L]w+[L]o+[ML]+[MLX]w+[MLX]o = [L*]
CX = [X]+[MX]+[MLX]w+[MLX]o = [X*]
分配比は、
D=[MLX]o/([M]+[ML]+[MX]+[MLX]w)
これを変形すると、
D=KdMKassβL/(1/([L]w[X])+βL/[X]+βX/[L]w+KassβL) …⑦
となります(*2)。
(*2) [MLX]o = KdMKassβL[M][X][L]w
[M]+[ML]+[MX]+[MLX]w=[M](1+βL[L]w+βX[X]+KassβL[L]w[X])
したがって、
D=KdMKassβL[L]w[X]/(1+βL[L]w+βX[X]+KassβL[L]w[X])
=KdMKassβL/(1/([L]w[X])+βL/[X]+βX/[L]w+KassβL)
<<試薬濃度と分配比の関係>>
カリウムイオンに関する分配比Dは、試薬(18-クラウン-6、ピクリン酸イオン)濃度の関数になります。18-クラウン-6濃度あるいはピクリン酸濃度を変化させて、Dと試薬濃度との関係を求めました。計算には、エクセルのソルバー機能を用いました(*3)。
(*3) エクセルのソルバー機能を用いるとDとともに個々の化学種濃度も求めることができる。
<定数>
計算に用いた平衡定数(KhL, KdM, βL, βX, Kass)、全カリウム濃度CM mol/L、全18-クラウン-6濃度CL mol/Lおよび全ピクリン酸イオン濃度CX mol/Lについては次の通りです(溶媒:1,2-ジクロロエタン)。また、水相と有機相の体積はVo=Vwです。活量係数補正はしません。
<log Dと18-クラウン-6濃度の関係>
全カリウム濃度をCM = 1×10^-4 mmol/L、全ピクリン酸イオン濃度をCX = 0.01mol/Lとした場合について18-クラウン-6濃度を変化させて([CL]=10^-7~10^-1
mol/L)、次のようにしてソルバー解を求めました。
両相の化学種濃度:
M:K+, L:18-クラウン-6、 X:ピクリン酸イオン、とすると、
pM =-log[K], pLo
=-log[L]o, pX =-log[X]として、
[M]=10^-pM
[ML]=βL[M][L]w
[MLX]w=Kass[ML][X]
[MLX]o=KdM[MLX]w
[MX]=βX[M][X]
[L]w=[L]o/KdL
[L]o=10^-pLo
[X]=10^-pX
M, L, Xの全濃度:
[M*]=[M]+[ML]+[MLX]w+[MLX]o+[MX]
[L*]=[L]w+[L]o+[MLX]w+[MLX]o
[X*]=[X]+[MLX]w+[MPX]o+[MX]
Mの分配比:
D=[MLX]o/([M]+[ML]+[MLX]w+[MX])
ソルバーのパラメータ:
目的セル:CM-[M*] = 0
変数セル:pM , pLo , pX
制約条件:CL-[L*] = 0
:CX-[X*] = 0
結果の抜粋を図-1に示します。
また、log Dと18-クラウン-6濃度の関係を図-2に示します。
図-2から分かるように、log CLが非常に低い領域においてはlogDは傾き+1の直線となり、log CLの増加とともにlog Dの傾きは途中大きくなりますが(log CL=10^-4 Mのとき傾き約+2.6)、log CLがさらに高くなると再び傾きは減少して水平となりました。⑦式から分かるように、Kass>>(1/[X])なので[L]wが大きくなると水平部分はlog D≒log KdMとなります。
また、log CLと抽出率%の関係を図-3に示します。抽出率%は最大94%程度でした。
<log Dとピクリン酸濃度の関係>
全カリウム濃度をCM = 1×10^-4 mmol/L、全18-クラウン-6イオン濃度をCL
= 0.01mol/Lとした場合についてピクリン酸濃度を変化させて([CX]=10^-7~10^-1 mol/L)、前述と同様にしてDのソルバー解を求めました。log CXと抽出率%の関係を図-4に示します。







コメント