ある特定のpH値の緩衝液を実際に調製する場合、Ka値を用いて理論的な計算で必要濃度を求めるにはいくつかの困難が伴います。たとえば、Ka値は温度やイオン強度(活量係数)によって変動しますが、それらのデータがすべてあるとは限りません。したがって、実際の緩衝液の調製は正確に校正されたpHメータを用いて行うのが一般的です。しかし、実際の調製に先立って理論的計算であらかじめ予測を立てることは必要なことだと思います。今回はエクセル-ソルバーを用いて活量係数を考慮した計算を行います。
計算にあたって、平衡定数は25℃における熱力学的平衡定数を用い、活量係数の算出には拡張デバイ-ヒュッケル式を用います(2023-03-26)。化学種iの活量係数をγiとし、活量基準のpHをpHºとします。イオン強度をµとすると、拡張デバイ-ヒュッケル式はµ=0.1~0.2程度以下でしか成立しません。これらの考察のあと、温度の影響について言及します。
<<活量係数を考慮したpH計算>>
例題1 0.1 mol/Lの酢酸(HA) 100 mLに0.1
mol/L 酢酸ナトリウム(NaA) 200 mLを加えた緩衝溶液のpHºを求めよ。
加える酢酸(HA)および酢酸ナトリウム(NaA)の濃度をCao, Cso
mol/Lとする。HA, NaAの体積をVa,
Vs mLとし、最終液量をVf mLとする。また、調製した緩衝液中の全HA, NaAの濃度をCa, Cs mol/Lとする。平衡定数は、pKaº=4.756,
pKwº=14.000を用いる。
Ka = [H][A]/[HA] = Kaº/(γHγA/γHA)
Ca = [A]+[HA] = (CaoVa+CsoVs)/Vf
Cs = [Na] = CsoVs/Vf
Vf = Va+Vs
[H]+[Na] = [OH]+[A]
pH = pHº+logγH
[H] = 10^-pH
[OH] = Kw/[H]
[A] = Ca/(1+[H]/Ka)
[HA] = [H][A]/Ka
[Na] = Cs
Q = [H]-[OH]+[Na]-[A]
µ = ([H]+[OH]+[Na]+[A])/2
logγH = -0.51√μ/(1+2.95√μ)
logγOH = -0.51√μ/(1+1.15√μ)
logγA = -0.51√μ/(1+1.48√μ)
logγHA = 0
与件:Cao=0.1, Cso=0.1, Va=100, Vs=200
目的セル:Q(=0)
変数セル:pH, µo
制約条件:R=µ―µo(=0)
として、ソルバー(2023-04-23)を実施する。結果を図-1に示す。
(答え) pHº =4.96
活量を補正しない場合はpH = 5.06で、補正した場合に比べて+0.10の誤差が生じています。
例題2:0.1 mol/Lのアンモニア(B) 100 mLに0.1
mol/L 塩化アンモニウム(BHCl) 200 mLを加えた緩衝溶液のpHºを求めよ。
加えるアンモニア(B)および塩化アンモニウム(HBCl)の濃度をCno, Cso
mol/Lとする。B, HBClの体積をVn,
Vs mLとし、最終液量をVfとする。また、調製した緩衝液中の全B, HBClの濃度をCn, Cs mol/Lとする。平衡定数は、pKnº=9.245,
pKwº=14.000を用いる。
Kn = [H][B]/[HB] = Knº/(γHγB/γBH)
Cn = [B]+[HB] = (CnoVn+CsoVs)/Vf
Cs = [Cl] = CsoVs/Vf
Vf = Vn+Vs
[H]+[HB] = [OH]+[Cl]
pH = pHº+logγH
[H] = 10^-pH
[OH] = Kw/[H]
[B] = Cn/(1+[H]/Kn)
[HB] = [H][B]/Kn
[Cl] = Cs
Q = [H]-[OH]+[HB]-[Cl]
µ = ([H]+[OH]+[HB]+[Cl])/2
logγH = -0.51√μ/(1+2.95√μ)
logγOH = -0.51√μ/(1+1.15√μ)
logγB = 0
logγBH = -0.51√μ/(1+0.82√μ)
与件:Cno=0.1, Cso=0.1, Va=100, Vs=200
目的セル:Q(=0)
変数セル:pH, µo
制約条件:R=µ―µo(=0)
として、ソルバーを実施する。結果を図-2に示す。(答え) pHº =9.05
活量を補正しない場合はpH = 8.94で、補正した場合に比べて-0.11の誤差が生じます。
<<緩衝液の調製方法-いくつかの実例>>
例題3:0.1 mol/Lの酢酸(HA)に0.1 mol/L 酢酸ナトリウム(NaA)を加えてpHº=5.00の緩衝液500 mLを作りたい。加えるべきHA, NaAの体積を求めよ。
関係式は、例題1と同じ。
与件:Cao=0.1,
Cso=0.1, pH =5.00, Vfo=500
目的セル:Q(=0)
変数セル:Va, Vs, µo
制約条件:R1=Vf―Vfo(=0), R2=µ―µo(=0)
として、ソルバーを実施する。結果を図-3に示す。(答え) Va = 157 mL,
Vs = 343 mL
もし、活量補正を行わないと、Va
= 182 mL, Vs = 318 mLという結果になります。
例題4:0.1 mol/L 酢酸(HA)および0.1 mol/L 酢酸ナトリウム(NaA)に純水を加えてpHº=5.00, イオン強度=0.050の緩衝液500 mLを作りたい。加えるべきHA,
NaAの体積を求めよ。
関係式は、例題1と同じ。ただし、HAおよびNaAに純水を加えて調製した最終液量をVfとする。
与件:Cao=0.1,
Cso=0.1, pH =5.00, µo=0.5,
Vfo=500
目的セル:Q(=0)
変数セル:Va, Vs
制約条件:R=µ―µo(=0)
として、ソルバーを実施する。結果を図-4に示す。(答え) Va = 117 mL,
Vs = 250 mL
もし、活量補正を行わないと、Va
= 127 mL, Vs = 223 mLという結果になります。
例題5:N=0.05 molのトリス(T)およびC molの塩酸(HCl)を純水に溶かしてpHº=8.00の緩衝液V=0.5 L を作りたい。加えるべきCの値を求めよ。またこのときのイオン強度を求めよ。 pKnº=8.072, またT, HT+のデバイ-ヒュッケル式はlogγT=0, logγHT=-0.51√μ/(1+0.98√μ)とする。
調製した緩衝液中の全T, HClの濃度をCn, Cc mol/LとするとCn=N/V, Cc=C/V
Kn =
[H][T]/[HT] = Knº/(γHγT/γHT)
Cn = [T]+[HT] = N/V
Cc = [Cl] = C/V
[H]+[HT] = [OH]+[Cl]
pH = pHº+logγH
[H] = 10^-pH
[OH] = Kw/[H]
[T] = Cn/(1+[H]/Kn)
[HT] = [H][T]/Kn
[Cl] = Cc
Q = [H]-[OH]+[HT]-[Cl]
µ = ([H]+[OH]+[HT]+[Cl])/2
logγH = -0.51√μ/(1+2.95√μ)
logγOH = -0.51√μ/(1+1.15√μ)
logγHT = -0.51√μ/(1+0.98√μ)
logγT = 0
与件:N=0.05 (mol), pHº=8.00, V=0.5 (L)
目的セル:Q(=0)
変数セル:Cc, μo
制約条件:R=µ―µo(=0)
として、ソルバーを実施する。結果を図-5に示す。
求める値はHClのモル数C = 0.0299 (mol), µo = 0.0598
もし、活量補正を行わないと、C = 0.0271 (mol), µo = 0.0541
<<平衡定数と温度の関係>>
熱力学の教えるところによれば、ファントホッフ(van't Hoff)の式から、絶対温度(T1, T2)の温度差が小さく標準エンタルピー変化(ΔHº)が一定の場合は、平衡定数(K)と温度(T)の間に次の関係が成立することが分かっています(Rは気体定数)。
log K1 = -ΔHº/(2.30RT1)+const
log K2 = -ΔHº/(2.30RT2)+const
よって、
log (K2/K1) = ΔHº/(2.30R)(1/T1-1/T2)
したがって、K1, T1, ΔHºが既知ならば、温度T2におけるK2は次式で求めることができます。
log K2 = log K1+ΔHº(T2-T1)/(2.30RT1T2)
つまり、
pK2
= pK1-ΔHº(T2-T1)/(2.30RT1T2)
温度25℃(T1)における平衡定数(K1)は多くの文献に記載されています。また、ΔHºあるいはΔpK/ΔTの値はたとえば次の文献に記載されています。
(岡田、垣内、前田:「分析化学の基礎-定量的アプローチ-」化学同人(2012),
付表1)
(宗林 監訳「ハリス分析化学[原著9版](上)」化学同人(2017) 256 )
たとえば、酢酸はΔHº=-0.41 (kJmol-1)なので、Kaは温度の影響をあまり受けませんが、トリスの場合はΔHº=47.45
(kJmol-1)なので、Kaは温度の影響を大きく受けます。
酢酸:pKaº(t℃)≒4.756+0.0002(t-25)
トリス:pKnº(t℃)≒8.072-0.028(t-25)
つまり、トリスの場合、温度が1℃上がれば、pKnは0.028だけ小さくなります(酸解離が進む)。たとえば25℃, pH=7.90で調製したトリス溶液は37℃ではpH≒7.6となります。
またデバイヒュッケル式:logγ=-Az^2√μ/(1+B√μ)におけるAの値は温度の影響を受けます。
A=1.825×10^6/(εT)^(3/2) (ε:比誘電率、T:絶対温度。εも温度の関数)
<<緩衝液の実際的調製方法>>
以上述べたように、理論的な計算で正確なpHの緩衝液を作るのに必要なデータをすべて取得するのはなかなか困難なので、緩衝液を実際に調製するときは正確に校正されたpHメータを用いるのが普通です。たとえば、0.10 mol/Lのトリス-塩酸緩衝液500 Lを作りたい場合の手順の一例は次の通りです。
1) トリス(C4H11NO3=121.14) 6.057
(g)をビーカーに入れ、純水約400 mLに溶かす。
2) 校正されたpHメータをセットする。
3) 1 mol/L HClをpHが8.00近くになるまで加える。
4) 溶液の温度を緩衝液の使用温度に保つ。
5) pHが丁度8.00になるまで1 mol/L HClを加える。
6) この溶液をメスフラスコに移し、ビーカーおよび電極を洗浄し、洗液もメスフラスコに加える。
7) 純水を用いて定容する。





コメント