「錯体」の定義は様々ですが、一般に「金属イオン」を中心に「孤立電子対を持つ陰イオンあるいは中性分子」(配位子)が配位結合して生成した化学種のことを言います。また、これらの錯体が生成する反応を「錯生成反応」と言い、金属イオンと配位子の間には「錯生成平衡」が成立します。以降、エクセルを用いて錯生成平衡に関する計算をしていきたいと思います。   

<<錯生成平衡と平衡定数>>
水溶液中の金属イオンMn+は溶媒である水が配位して水和イオンM(H2O)xn+ (=アクア錯体)を形成しています。ここに孤立電子対を持つ陰イオンまたは分子(配位子Lr-)が加えられ、金属イオンと配位したH2OLの間に置換反応が起きると、この反応は錯生成反応と呼ばれ、また生成物は錯体と呼ばれます(*1)
(*1) ルイスの説「酸は電子対を受け取る物質であり、塩基は電子対を供与する物質である」によれば、金属イオンは酸、配位子は塩基と考えることができる(2023-03-19)。逆に、酸は水素錯体、塩基はヒドロキソ錯体(仮想的な場合も含め)と考えることもできる。この場合、酸塩基反応は錯生成反応の特別な場合と考えられる。たとえば、
H+(
金属イオン) NH3(配位子) NH4+(水素錯体=)
Ca2+(
金属イオン) 2OH-(配位子) Ca(OH)2(ヒドロキソ錯体=塩基)   

配位子には1個の原子で配位する単座配位子(NH3, H2O, Cl-など)2個以上の原子で配位する多座配位子(エチレンジアミン, EDTAなど)があります。多座配位子が作る錯体はキレート錯体と呼ばれます。金属イオンに配位している原子の数を配位数と言い、金属イオンと配位子の種類によって異なりますが、通常は2~6の値を取ります。単座配位子で作られた錯体の例として、亜鉛-アンミン錯体([Zn(NH3)4]2+)の構造を-に示します。[Zn(NH3)4]2+の配位数は4で正四面体型の構造をとります。   

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2024-04-07-fig1

金属イオンM(H2O)xn+と配位子Lr-との錯生成反応には次のような平衡が成立します。
M(H2O)xn+
Lr- ML(H2O)(x-1)(n-r)+ H2O 
ML(H2O)(x-1)(n-r)+
Lr- ML2(H2O)(x-2)(n-2r)+ H2O 
   ……   
この平衡を考えるとき、通常H2Oは平衡定数に寄与しないので、反応式および平衡定数は
Mn+
Lr- ML(n-r)+
ML(n-r)+
Lr- ML2(n-2r)+
   ……   
と書き表わします。   

<錯生成定数>
錯生成反応式および平衡定数は、
Mn+
Lr- ML(n-r)+ , K1 = [ML]/([M][L])
ML(n-r)+
Lr- ML2(n-2r)+ , K2 = [ML2]/([ML][L])
   ……
ML(m-1)(n-(m-1)r)+
Lr- MLm(n-mr)+ , Km = [MLm]/([ML(m-1)][L])
この式の平衡定数K1, K2, , Km逐次生成定数(逐次安定度定数)
(*2), (*3)と言います。
また、反応式は次のように書き表わすこともできます。
Mn+
Lr- ML(n-r)+ , β1 = [ML]/([M][L])
Mn+
2Lr- ML2(n-2r)+ , β2 = [ML2]/([M][L]^2)
   ……
Mn+
mLr- MLm(n-mr)+ , βm = [MLm]/([M][L]^m)
この式の平衡定数β1, β2, , βm全生成定数(全安定度定数)
(*2), (*3) と言います。   

Kとβの間には、次の関係が成立します。
β1K1
β2K1K2
 

βmK1K2・ … ・Km   

(*2)  [  ]は各化学種のモル濃度を表わす([  ]内の化学種の電荷記号は省略)平衡定数には活量を用いる熱力学的平衡定数とモル濃度を用いるモル濃度平衡定数があるが、平衡計算にはモル濃度平衡定数を用いる方が取り扱いやすい(2023-03-26)。一般に便覧や教科書等に記載されているのは熱力学的平衡定数であり、モル濃度平衡定数についてはある特定のイオン強度(たとえばμ=0.1)における値しか記載されていない。熱力学的平衡定数を用いてモル濃度を表す場合は厳密には活量係数による補正が必要であるが、希薄な溶液では(モル濃度平衡定数)≒(熱力学的平衡定数)とみなすことができる。

(*3) ここでは深く言及しないが、硬い酸塩基と軟らかい酸塩基の概念(HSAB)は錯体の安定性を知るうえで非常に有用である。   

<化学種の濃度>
溶液中のMn+に関する全濃度をCMとすると、次式のような物質バランス式が成立します。
CM = [M][ML][ML2]+…+[MLm]
= [M]
β1[M][L]β2[M][L]^2+…+βm[M][L]^m
= [M](1
β1[L]β2[L]^2+…+βm[L]^m)
ここで、
αM 1+β1[L]+β2[L]^2+βm[L]^m
とすると
(*4)
CM [M]αM
(*4) この説明で用いたαの逆数をαと表わしている文献や書籍も多いので注意する必要がある。このブログではαの逆数はfで表すことにする。この場合f[M]/CMとなり、fは全濃度CMに対する[M]の存在分率を意味する。   

CM, βi, αMを用いて、各錯体の濃度を表すと、
[M] = CM/αM
[ML]
= β1[M][L] = β1[L]CM/αM
[ML2]
= β2[M][L]^2 = β2[L]^2CM/αM
 ……
[MLm] = βm[M][L]^m = βm[L]^mCM/αM   

また、各錯体の存在分率fiは、
f0 = [M]/CM = 1/αM
f1 = [ML]/CM = β1[L]/αM
f2 = [ML2]/CM = β2[L]^2/αM
 ……
fm = [MLm]/CM = βm[L]^m/αM
で表されます。   

<具体例-Zn(II)イオンとNH3の反応>
Zn(II)イオンとNH3の間には次のような平衡が成立します。
Zn2+
NH3 Zn(NH3)2+ 
Zn2+
2NH3 Zn(NH3)22+ 
Zn2+
3NH3 Zn(NH3)32+ 
Zn2+
4NH3 Zn(NH3)42+ 
平衡定数式は次のとおりです。
β1 = [Zn(NH3)]/([Zn][NH3])
β2 = [Zn(NH3)2]/([Zn][NH3]^2)
β3 = [Zn(NH3)3]/([Zn][NH3]^3)
β4 = [Zn(NH3)4]/([Zn][NH3]^4)   

亜鉛の全濃度をCMとすると、物質収支から、次式が成立します(*5)
CM = [Zn] + [Zn(NH3)] + [Zn(NH3)2] + [Zn(NH3)3] + [Zn(NH3)4]
(*5) 実際の水溶液ではZn(OH)+, , Zn(OH)42-, Zn2(OH)22+, Zn(OH)2(s)なども生成するが、ここでは無視する。
この式に平衡定数式を代入して整理すると、
CM = [Zn](1 +
β1[NH3] + β2[NH3]^2 + β3[NH3]^3 + β4[NH3]^4)
1 +
β1[NH3] + β2[NH3]^2 + β3[NH3]^3 + β4[NH3]^4 = αMとすると、
それぞれの化学種の濃度は、
[Zn] = CM/
αM
[Zn(NH3)] =
β1[Zn][NH3] = β1[NH3]
CM/αM
[Zn(NH3)2] =
β2[Zn][NH3]^2 =β2[NH3]^2CM/αM
[Zn(NH3)3] =
β3[Zn][NH3]^3 = β3[NH3]^3CM/αM
[Zn(NH3)4] =
β4[Zn][NH3]^4 = β4[NH3]^4CM/αM
となります。   

また、それぞれの化学種の分率fiは次の通り:
f0 = [Zn]/CM = 1/
αM
f1 = [Zn(NH3)]/CM =
β1[NH3]/αM = β1[NH3]f0
f2 = [Zn(NH3)2]/CM =
β2[NH3]^2/αM = β2[NH3]^2f0
f3 = [Zn(NH3)3]/CM =
β3[NH3]^3/αM = β3[NH3]^3f0
f4 = [Zn(NH3)4]/CM =
β4[NH3]^4/αM = β4[NH3]^4f0   

<<錯生成平衡の濃度計算>>
配位子濃度に対して化学種濃度を求めることがしばしば必要となります。このようなときエクセルを用いると効率的に計算することができます。上記のZn(II)イオンとNH3の平衡を例として、化学種濃度の計算を行います。   

例1 Znの全濃度CM = 10^-4 mol/Lとして、NH3の平衡濃度を[NH3] = 10^-6 10^-1 mol/Lと変化させたとき、溶液に含まれる化学種の濃度を求めよ。 亜鉛-アンミン錯体の全生成定数を、logβ1 = 2.2, logβ2 = 4.4, logβ3 = 6.7, logβ4 = 8.7とする。
配位子の平衡濃度[NH3]が与えられると、
αM = 1 + β1[NH3] + β2[NH3]^2 + β3[NH3]^3 + β4[NH3]^4
[Zn] = CM/
αM
[Zn(NH3)] =
β1[Zn][NH3]
[Zn(NH3)2] =
β2[Zn][NH3]^2
[Zn(NH3)3] =
β3[Zn][NH3]^3
[Zn(NH3)4] =
β4[Zn][NH3]^4
を用いて、各化学種濃度を計算することができる。
エクセルを用いた計算結果を-に示す。   

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<<錯生成平衡の濃度分布図>>
配位子濃度と溶液中の化学種濃度の関係図を作成すると、錯生成平衡を理解するのに非常に役立ちます。-のデータ(Zn(II)-NH3)を用いて配位子の平衡濃度の対数値に対する化学種濃度またはその対数値の濃度分布図をエクセルで作成します(挿入⇒グラフ⇒散布図)。結果を-3、図-に示します。アンモニア濃度が濃くなるにつれて、Zn(NH3)2+ Zn(NH3)22+ → …と高次の錯体が生成され、最終的にZn(NH3)42+が主要な錯体となることが分かります。 

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