沈殿反応に錯生成反応や酸塩基反応が関与すると溶解度の算出は複雑になります。このような場合、副反応係数の考えを導入すると計算が楽になります。
<<副反応の寄与>>
沈殿反応は次のように表されます。
MaLb(固体) ⇄ aM + bL ………①
Ksp = [M]^a[L]^b
ここで注意しなければならないのは、“[M], [L]は他の成分と結合していない遊離のイオンの濃度である”ということです。一般には、沈殿反応以外にも様々な副反応が起こり、金属イオンMはL以外の別の配位子と結合し、また配位子LはM以外の金属と結合することも多くあります。この場合、系は複雑となります。
実例で示すと、亜鉛溶液に硫化ナトリウムを加えZnSを沈殿させる場合、
Zn2+はS2-と反応する以外にOH-と反応し、またS2-はH+と反応します(*1)。溶液中の全亜鉛濃度を[Zn’]、全イオウ濃度を[S’]とすると、
[Zn’] = [Zn]+[Zn(OH)]+[Zn(OH)2]+[Zn(OH)3]+[Zn(OH)4]
[S’] = [S]+[HS]+[H2S]
となります。したがって、例えば亜鉛溶液に硫化ナトリウムを過剰に加えZnSを沈殿させた場合、[Zn’]がZnSの溶解度となります。[Zn’]は[Zn]よりも大きくなり、副反応があると溶解度は増加します。
(*1) 厳密にいうと、Zn2+は硫化水素と反応して、Zn(HS)+, Zn(HS)2, Zn(HS)3-,
Zn(HS)42-などの錯体も生成するが、ここでは考えない。
M+A ⇄ MA , k1=[MA]/([M][A])
MA+A ⇄ MA2 , k2=[MA2]/([MA][A])
……
MAm-1+A ⇄ MAm , km=[MAm]/([Mm-1][A])
という反応が起きるとき、
[M’] = [M]+[MA]+[MA2]+ … +[MAm]
=[M]+k1[M][A]+k2[MA][A]+ … +km[MAm-1][A]
=[M]+k1[M][A]+k1k2[M][A]^2+ … +(k1k2…km)[M][A]^m
ここで、β1=k1, β2=k1k2, … , βm=k1k2…km とすると、
[M’] = [M](1+β1[A]+β2[A]^2+…+βm[A]^m) ………②
k1, k2, …,kmは逐次安定度定数、β1, β2, …βmは全安定度定数と呼ばれます。[M’]は金属イオンMの全濃度を表します(2024-04-07)。
また同様にして、主反応①の配位子Lに対する他金属N(水素イオンを含む)の副反応について、
[L’] = [L]+k1[L][N]+k1k2[L][N]^2+…+k1k2…kn[L][N]^n
が得られます。
特に、Nが水素イオンの場合(つまり、HnLという弱酸の場合)
[L’] = [L]+k1[L][H]+k1k2[L][H]^2+…+k1k2…kn[L][H]^n
k1 = 1/Kan, k2 = 1/Kan-1, … ,kn = 1/Ka1とすると、
[L’] = [L](1+[H]/Kan+[H]^2/(KanKan-1)+…+[H]^n/(KanKan-1…Ka1) ………③
Ka1, Ka2, …,KanはHnLの酸解離定数です。
安定度定数、酸解離定数は様々な文献や書籍に記載されています。
<<α係数(副反応係数)>>
1個の金属イオンの周りに配位子が結合した錯体を単核錯体といいます。
M+A ⇄ MA β1=[MA]/([M][A])
M+2A ⇄ MA2 β1=[MA]/([M][A]^2)
…
M+mA ⇄ MAm βm=[MAm]/([M][A]^m)
という反応について考えます。
ここで、Schwarzenbachが提案したα係数の考えを導入します。
αM(A)=[M’]/[M] ………④
αL(B)=[L’]/[L] ………⑤
α係数は副反応係数とも呼ばれ、副反応の寄与を示す指標となります。このα係数を導入すると、理論的取扱いが楽になります。
②, ④から
αM(A) = 1+β1[A]+β2[A]^2+…+βm[A]^m ………⑥
たとえば、AがOH-イオンのとき
αM(OH) = 1+ β1[OH]+β2[OH]^2+…+βm[OH]^m
となります。
また、副反応に寄与する配位子が複数あるときは、
αM(A) = αM(A1)+αM(A2)+…+αM(Ap)-(p-1) ………⑦
となります。
また、同様に、Lに対する水素イオンのα係数は、
αL(H) = 1+[H]/Kan+[H]^2/(KanKan-1)+…+[H]^n/(KanKan-1…Ka1) ………⑧
となります(*2)。
(*2) この説明で用いたα係数の逆数をαと表している文献、書籍も多いので注意を要する。この場合は、αM(A)=[M]/[M’]、αL(B)=[L]/[L’] となり、このαは全濃度[M’], [L’]に対する[M], [L]の分率を意味する。このブログでは分率は[M]/[M’]=fM, [L]/[L’]=fLを用いている。
ここで取り上げたα係数は単核錯体を対象としたものです。このα係数は⑦式あるいは⑧式から分かるように[M]や[L]に依存しません(*3)。
(*3) 中心原子が複数個のものを多核錯体という。多核錯体についてはα係数による取り扱いは困難となる。
<<条件溶解度積>>
前回(2024-08-04)は、副反応がない系について溶解度積から溶解度を求める方法を示しました。今回は副反応がある系について考えます。錯生成反応のマスキングについて考えたとき(2024-07-21)と同様に、副反応がある沈殿反応について溶解度積の代わりに条件溶解度積の考えを導入すると平衡計算が楽になります。
ここで、条件溶解度積Ksp’を考えます。
Ksp’
= [M’]^a[L’]^b = Ksp×(αM)^a×(αL)^b
このKsp’を用いれば、副反応があるときも副反応がないときと同様のやり方で溶解度を求めることができます。
共通イオン効果がないとき:
S={(Ksp(αM)^a(αL)^b/(a^ab^b)}^(1/(a+b))={(Ksp’/(a^ab^b)}^(1/(a+b))
共通イオン効果があるとき:
S={(Ksp(αM)^a(αL)^b/CL^b)^(1/a)}/a={(Ksp’/CL^b)^(1/a)}/a
特に、a=b=1のときは、
共通イオン効果がないとき:
S=(KspαMαL)^(1/2)=(Ksp’)^(1/2)
共通イオン効果があるとき:
S=KspαMαL/CL=Ksp’/CL
もちろん、平衡定数(Ksp, Kai,
βi)はイオン強度の影響を受けるので、この影響が大きい場合は補正が必要です。
<<溶解度の計算>>
<沈殿剤が酸塩基反応をする場合>
BaSO4の沈殿は強酸-強塩基の塩であり、その溶解度は通常pHの影響を受けません。つまり、共通イオン効果がない場合は、
[Ba]=[SO4]=S, Ksp = [Ba][SO4] = S^2が成立するので、
溶解度は、
S = √Ksp
となります(2024-08-04)。
一方、BaCO3の沈殿は弱酸-強塩基の塩であり、その溶解度はpHの影響を受けて変化します。つまり、pHによってCO32-の一部がHCO3-およびH2CO3に変化して、
[CO3’] = [CO3](1+[H]/K2+[H]^2/(K2K1)
= [CO3]αCO3
なお、Ba2+は強塩基性以外の通常のpH範囲ではpHの影響を受けません(αBa=1)。
Ksp’ = [Ba][CO3’] = [Ba][CO3]αCO3 = KspαCO3
共通イオン効果がないとき溶解度は、
S =[Ba] = [CO3’]
Ksp’ = [Ba][CO3’] = S^2
したがって、
S = √(Ksp’) = √(KspαCO3)
となります。
<例題1> pH=7である溶液中のBaCO3の溶解度を求めよ。pKsp=8.3, pK1=6.4, pK2=10.3とする。
pH=7において
αCO3=1+[H]/K2+[H]^2/(K2K1)=1+10^-7/10^-10.3+10^-14/10^-(10.3+6.4)=2.5×10^3
したがって、
Ksp’=KspαCO3
S=√(Ksp’)=3.5×10^-3 mol/L …(答)
<沈殿剤自身が錯生成反応をする場合>
例として、種々の濃度の塩化物イオンを含む溶液中のPbCl2の溶解度について考えます。
平衡定数は次の通りとします。
Ksp = [Pb][Cl]^2 , pKsp
= 4.8
β1 =
[PbCl]/([Pb][Cl]) , logβ1 = 1.6
β2 = [PbCl2]/([Pb][Cl]^2) , logβ2 =
1.8
β3 = [PbCl3]/([Pb][Cl]^3) , logβ3 =
1.7
β4 = [PbCl4]/([Pb][Cl]^4) , logβ4 =
1.4
[Pb’] = [Pb]+[PbCl]+[PbCl2]+[PbCl3]+[PbCl4]
= [Pb](1+β1[Cl]+β2[Cl]^2+β3[Cl]^3+β4[Cl]^4) = [Pb]αPb
Ksp’ = [Pb’][Cl]^2
= KspαPb
PbCl2の溶解度Sは、Pbに関する化学種の濃度の総和で与えられるので、
S = [Pb’]
したがって、溶液中の塩素イオン濃度[Cl]が与えられたとき、
S = Ksp’/[Cl]^2 = KspαPb/[Cl]^2 = Ksp(1/[Cl]^2+β1/[Cl]+β2+β3[Cl]+β4[Cl]^2)
となります。
<例題2> [Cl]=0.1 mol/LにおけるPbCl2の溶解度をもとめよ。pKsp=4.8,
logβ1=1.6, logβ2=1.8, β3=1.7, β4=1.4とする。
αPb=1+10^1.6×10^-1+10^1.8×10^-2+10^1.7×10^-3+10^1.4×10^-4=5.66
S=KspαPb/[Cl]^2=10^-4.8×5.66/0.1^2=9.0×10^-3 mol/L …(答)
なお、[Cl]を変化させたときのPbCl2の溶解度Sの変化を図-1に示します(イオン強度による補正なし)。図から分かるように、PbCl2の水への溶解度は約0.02 mol/Lであり、PbCl2の溶解度が最小になるのは、塩化物イオンが約0.7 mol/Lで、その時の溶解度は約3×10^-3 mol/Lです。
<他の錯生成剤が含まれる場合>
金属イオンと錯体を生成する錯形成剤があれば、難溶性塩の溶解度に影響を与えます。例としてEDTAを含む溶液中のBaSO4の溶解度について求めます。
<例題3> 過剰量として0.01 mol/LのEDTAを含む溶液中(pH=10)のBaSO4の溶解度を求めよ。pKsp=9.2, BaYの錯生成定数をlogKf=7.8,
EDTAの酸解離定数をpK1=2.0, pK2=2.7, pK3=6.1,
pK4=10.4, とする。
Ksp=[Ba][SO4]=10^-9.2
αBa(Y)=1+Kf[Y]=1+Kf[Y’]/αY
ここで、pH=10なので、
αY=1+[H]/K4+[H]^2/(K4K3)+[H]^3/(K4K3K2)+[H]^4/(K4K3K2K1)
=1+10^-10/10^-10.4+10^-20/10^-16.5+10^-30/10^-19.2+10^-40/10^-21.2=3.5
したがって、
αBa(Y)=1+Kf[Y’]/αY=1+10^7.8×0.01/3.5=1.8×10^5
また、pH=10で硫酸はすべてSO42-として存在する(αSO4=1)。
したがって、
Ksp’=[Ba’][SO4]=KspαBa(Y)
共通イオン効果がないとき、
[Ba’]=[SO4]=S
Ksp’=[Ba’][SO4]=S^2
S=√(Ksp’)=√(10^-9.2×1.8×10^5)=0.01 mol/L …(答)
<<理論的溶解度と実際の溶解度との差>>
実際の溶解度が溶解度積等の平衡定数から求めた理論的溶解度どおりになるとは限りません。これにはさまざまな原因があります。たとえば、考えていない副反応が影響する場合があります。固有溶解度が無視できない場合もあります(例えば、HgCl2の溶解度)。また、沈殿生成には単純な平衡論では説明できない複雑な現象(過飽和、後沈、共沈、結晶形の変化など)を伴うことも多いものです。イオン強度、温度、有機溶媒などの影響もあります。
したがって、平衡定数から求めた理論的溶解度は実際の溶解度に対してあくまで目安であることを知っておくべきです。

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