共通イオン効果だけを考えるならば、沈殿剤を加えれば加えるほど金属イオンの溶解度は小さくなります。しかし、沈殿剤をあまり過剰に加えると、金属イオンと沈殿剤が錯体を生成して逆に溶解度が増加する場合があります。前回(2024-08-11)はPbCl2の溶解度について言及しましたが、今回はAgClを例にとってもう少し詳細に調べます。
<<塩化物イオンの平衡濃度と溶解度の関係>>
<関係式>
Ag+にCl-を添加すると、AgClの沈殿が生成しますが、同時にAgCl(aq), AgCl2-, AgCl32-,
AgCl43-のような錯体も生成します(*1)。
AgCl(s)↓ ⇄ Ag++Cl- , Ksp=[Ag][Cl]=10^-9.50
Ag++Cl- ⇄
AgCl(aq) , β1=[AgCl(aq)]/[Ag][Cl]=10^2.9
Ag++2Cl- ⇄ AgCl2- , β2=[AgCl2]/[Ag][Cl]^2=10^4.7
Ag++3Cl- ⇄ AgCl32- , β3=[AgCl3]/[Ag][Cl]^3=10^5.0
Ag++4Cl- ⇄ AgCl43- , β4=[AgCl4]/[Ag][Cl]^4=10^5.9
(*1) Ag2Cl+等のイオンも生成するが、ここでは考えない。またイオン強度による補正は行わない。
[Ag’] = [Ag]+[AgCl(aq)]+[AgCl2]+[AgCl3]+[AgCl4]
= [Ag](1+β1[Cl]+β2[Cl]^2+β3[Cl]^3+β4[Cl]^4) = [Ag]α
AgClの沈殿平衡が成立するとき、
[Ag’] = [Ag]α = Kspα/[Cl]
つまり、[Ag’]がAgClの溶解度Sとなります。
S = Kspα/[Cl] = Ksp([Cl]^-1+β1+β2[Cl]+β3[Cl]^2+β4[Cl]^3) …①
logS = logKsp+logα-log[Cl]
Sは[Cl]のみの関数ですから、[Cl]が分かれば、Sはエクセルシートを用いて簡単に計算することができます。
<溶解度Sの計算結果>
エクセルシートを用いて求めたAgClの溶解度Sと溶液中の塩化物イオンの平衡濃度([Cl])の関係(log[Cl]-logS)を図-1に示します。実線は錯生成を考慮した溶解度Sです。破線は錯生成を無視したときの溶解度です。
<水に対する溶解度So>
水に対する溶解度Soは[Ag]=[Cl]の場合なので、Ksp=[Ag][Cl]=So^2 から、
So = √Ksp = 1.8×10^-5 (log[Cl]=-4.75)
<溶解度の最小値を与える[Cl]>
①式から、溶解度の最小値を与える[Cl]は、次の方程式を解けばよいことになります。
dS/d[Cl] = Ksp(-[Cl]^-2+β2+2β3[Cl]+3β4[Cl]^2) = 0
Excelのソルバー機能を用いて、この方程式を解くと、溶解度が最小となるのは、[Cl]=4.4×10^-3 mol/L (log[Cl]=-2.35)のときです。
これから分かるように、塩化銀をできるだけ完全に沈殿させたいときは、沈殿剤の添加は小過剰に留めるべきです。
<塩化物イオン濃度に対する各化学種濃度と溶解度>
図-1の結果を用いて、塩化物イオンの平衡濃度([Cl])とAgに関する化学種濃度[Xi]の関係(log[Cl]-log[Xi])を図-2に示します。図から分かるように、[Cl]<0.001 mol/Lでは、Ag+が主要な化学種であり、0.001~0.02 mol/LではAgCl(aq)が、0.02~0.3 mol/LではAgCl2-が、[Cl]>0.3 mol/LではAgCl43-が主要な化学種となります。
<<HCl濃度と溶解度の関係>>
前項では、AgClの溶解度と塩化物イオンの平衡濃度[Cl]の関係について調べました。しかし、実際問題として平衡濃度である[Cl]の値を求めることは簡単ではありません。一方、HCl溶液に対するAgClの溶解度を求める場合、HCl溶液の式量濃度(Ccl)は事前に把握することができます。HCl溶液の式量濃度とAgClの溶解度の関係についてエクセル-ソルバーを用いて求めます。
<HCl溶液に対するAgClの溶解度>
式量濃度がCcl mol/Lの塩酸溶液に対する溶解度を求めます。AgClの溶解度積をpKsp = 9.5, 錯生成定数をlogβ1 = 2.9, logβ2 = 4.7, logβ3 = 5.0, logβ4 = 5.9とします(*2)。
(*2) 出典:田中ら訳, A. リングボム著「錯形成反応-分析化学における応用-」産業図書 293 (1965)
平衡定数は、次の通りです。
Ksp = [Ag][Cl]
β1 =
[AgCl(aq)]/([Ag][Cl])
β2 = [AgCl2]/([Ag][Cl]^2)
β3 = [AgCl3]/([Ag][Cl]^3)
β4 = [AgCl4]/([Ag][Cl]^4)
化学種濃度は、
[Ag] = Ksp/[Cl]
[AgCl(aq)] = β1[Ag][Cl]
[AgCl2 ] = β2[Ag][Cl]^2
[AgCl3] = β3[Ag][Cl]^3
[AgCl4] = β4[Ag][Cl]^4
[H] = 10^-pH
[Cl] = 10^-pCl
[OH] = 10^-14/[H]
Agの物質バランスについて言うと、全Ag濃度[Ag’]が溶解度Sとなるので、
[Ag’] = S
またClの物質バランスについては、全Cl濃度[Cl’]はCclとSに由来するので、
[Cl’] = Ccl+S
Sを消去して、
[Ag’] = [Cl’]-Ccl
R = Ccl-([Cl’]-[Ag’]) = 0
の関係が成立します。
また、電荷バランスは、
[H]+[Ag] = [OH]+[AgCl2]+2[AgCl3]+3[AgCl4]+[Cl]
Q = [H]-[OH]+[Ag]-[AgCl2]-2[AgCl3]-3[AgCl4]-[Cl] = 0
<エクセル-ソルバーの実施>
エクセルのソルバーを用いて溶解度Sを求めます。
ソルバーのパラメータは次の通り。
目標セル:Q=0
制約条件:R=0
変数:pHおよびpCl
ソルバーの操作方法は次の通り。
1)ソルバーを立ち上げる。[データ]→[ソルバー]
2)B2~B6にlogKsp, logβ1, logβ2, logβ3, logβ4の値を入れる
3)D2~D6にKsp, β1, β2, β3, β4の計算式を入れる
・D2 =10^$B2
・D3 =10^$B3
・D4 =10^$B4
・D5 =10^$B5
・D6 =10^$B6
4)Cclの値を入れる。(D7)
*Ccl は1~10^-6 mol/Lと変化させる
5)変数セル(pH, pCl)に初期値を入れる(D8, D9)
*初期値はできるだけ答に近い値を入れる。Ccl=1の場合、たとえばpH=0, pCl=0とする。
6)各化学種濃度の計算式を入れる(D10~D19)
・[H]: D10 =10^-D8
・[OH]: D11 =10^-14/D10
・[Ag]: D12 =D2/D17
・[AgCl(aq)]: D13 =D3*D12*D17
・[AgCl2]: D14 =D4*D12*D17^2
・[AgCl3]: D15 =D5*D12*D17^3
・[AgCl4]: D16 =D6*D12*D17^4
・[Cl]: D17 =10^-D9
7)[Ag’], [Cl’], Q(目的セル), R(制約条件)の計算式を入れる(D18~D21)
・[Ag’]: D18 =D12+D13+D14+D15+D16
・[Cl’]: D19 =D13+2*D14+3*D15+4*D16+D17
・Q: D20 =D10-D11+D12-D14-2*D15-3*D16-D17
・R: D21 =D7-(D19-D18)
8)ソルバー解を求める。
・[目的セル:“D20”]→[指定値:“0”]→[変数セル:“D8:D9”]→[制約条件の対象:“追加”]→[セル参照:“D21”]→[=]→[制約条件:“0”]→[OK]→[非負数、チェックなし]→[解決方法の選択:“GRG非線形”]→[オプション]→[精度:“1e-10”]→[OK]→[解決]
9)Cclの値を変えて、同様の操作を行う。
(ソルバー作業用のカラムをD列とする。そのカラムでCclの値を指定してソルバー解を求め、この作業用カラムをコピーしてF列に貼り付け、以降これを繰り返すと、効率的に操作が行える。)
10)[Ag]*[Cl], logCcl, logS(=log[Ag’])を求める。
・[Ag]*[Cl]の値を求めるのは計算が正しいかどうかの確認のため
11)logCcl, logSの値を用いて散布図を作成し、塩酸の式量濃度に対する溶解度のグラフを作成する。
<結 果>
作成したシートの例を図-3に示します。
図-3

塩酸溶液の式量濃度と溶解度の関係(logCcl-logS)を図-4に示します。
なお、logCclとlog[Cl]の関係を図-5に示します。図-5から分かるように、[Cl]がおよそ10^-4 mol/L以上では、塩化物イオン濃度[Cl]は塩酸の式量濃度Cclとほぼ等しくなります。したがって、この範囲ではエクセルのソルバーを用いなくても①式からSの計算が可能です。




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