AgClの溶解度に対する塩酸の影響については、(2024-08-18)および(2024-08-25)で取り上げましたが、このときはイオン強度の影響を無視しました。今回はイオン強度別の平衡定数データを基に、イオン強度の影響も含めて、AgClの溶解度に及ぼすHCl濃度の影響について詳細に調べます。   

<<Ag-Cl系の関係式>>
様々なイオン強度における平衡定数値を-1に示します(*1)
(*1) 出典:R. M. Smith and A. E. Martell, "Critical Stability Constantsvol. 4 (1976)"および"化学便覧(2021)")
以下、この値を用いて話を進めます。   

-1
2024-09-08-fig1

平衡式は、
Ag+
Cl- AgCl(aq)
Ag+
2Cl- AgCl2-
Ag+
3Cl- AgCl32-
Ag+
4Cl- AgCl43-
Ag+
Cl- AgCl(s)   

錯生成定数は、
β1 = [AgCl]/([Ag][Cl])
β2 = [AgCl2]/([Ag][Cl]^2)
β3 = [AgCl3]/([Ag][Cl]^3)
β4 = [AgCl4]/([Ag][Cl]^4)   

溶解度積は、
Ksp = [Ag][Cl]
水のイオン積は、
Kw = [H][OH]
   

溶液内の物量バランスは、
[Ag’] = [Ag]+[AgCl]+[AgCl2]+[AgCl3]+[AgCl4]
[Cl
] =
[Cl][AgCl(aq)]2[AgCl2]3[AgCl3]4[AgCl4][Ag2Cl]   

AgClに関する沈殿平衡が成立するとき、それぞれの化学種の濃度は、
[Ag] = Ksp/[Cl]
[AgCl] =
β1[Ag][Cl]
[AgCl2] =
β2[Ag][Cl]^2
[AgCl3] =
β3[Ag][Cl]^3
[AgCl4] =
β4[Ag][Cl]^4
となります(*2)
(*2) 塩酸溶液中での平衡なので、銀の複核錯体や水酸化物の生成については無視する。   

<<イオン強度の影響の評価方法>>
活量係数を求めるためにはデバイ-ヒュッケル式、デービス式など様々な近似式が用いられますが、ここでは次式のような「修正デービス式」を用います。
logγ = 0.5×z^2×(μ/(1+μ)kμ) …①
γは活量係数、zはイオンの電荷、μはイオン強度。kは実測値の回帰式から求めた値。

したがって、
1
価イオンについては、logγ1=-0.5(√μ/(1+√μ)kμ)
2価イオンについては、logγ24logγ1

3価イオンについては、logγ39logγ1
無電荷種については、logγ00
各平衡定数は、
β1 = β1o/(γ0/
(γ1γ1)) = β1oγ1^2
β2 = β2o/(γ1/
(γ1γ1^2)) = β2oγ1^2
β3 = β3o/(γ2/(γ1γ1^3)) = β3o
β4 = β4o/(γ3/(γ1γ1^4)) = β4o/γ1^4
Ksp = Kspo/(
γ1γ1) = Kspo/γ1^2
Kw = Kwo/(
γ1γ1) = Kwo/γ1^2
となります。   

修正デービス式のkの求め方は次の通りです。
各平衡定数について、①式のkに初期値を与えて求めたlogβ(cal)と実験値のlogβ(exp)(-)との偏差平方和(E^2)を求め、この偏差平方和が最も小さくなるようなk値をエクセルのソルバーによって求めます(最小二乗法)
E = log
β(cal)logβ(exp)
E^2 = (logβ(cal)logβ(exp))^2
目的セル:偏差平方和(E^2) (目標値:最小値)
変数セル:k   

実験値として、β1, β2, Ksp, Kwについては"Critical Stability Constants"の値を用い、β3, β4については"Critical Stability Constants"および"化学便覧"の値を用いました。結果を-, -に示します。   

-
2024-09-08-fig3
-
2024-09-08-fig4-1
2024-09-08-fig4-2

β1, β2, Ksp, Kwに関して、kはそれぞれ0.23, 0.22, 0.34, 0.28となり、デービス式(k=0.2あるいは0.3)ほぼ満足する値となりました。溶解度の計算にはこれらの値を使用しました。
しかし、β4はk = -0.11となり、デービス式のk値からは大きくかけ離れた値となりました。
また、β3は本質的にはイオン強度とは無関係になるはずですが、実際はμ=0とμ=5の値が異なるので、次式で補正しました。
β3 = β3ok’μ
k
= 0.22
β3, β4は、データ数が少ないので(μ=0とμ=5の2点のみ)、式の信頼性には疑問が残りますが、そのまま使用しました。   

<<HCl溶液に対するAgClの溶解度>>
05 mol/L塩酸溶液に対するAgClの溶解度を求めます。
与件として塩酸濃度(Cc)を与え、次の
パラメータ設定を行い、pH, pCl μoに適切な初期値を与えてソルバーを実行し、AgClの溶解度[Ag](=S)を求めます(*3)
(*3) 沈殿平衡が成立するので、[Ag]=Ksp/[Cl]が成立する。また「溶液中の塩化物の全物質量」は「塩酸溶液および溶解したAgClの塩化物の物質量の合量」なので、[Cl]=Cc[Ag]が成立する。
・目的セル:電荷バランス、Q = 0
・変数セル:pH, pCl, μo (pCl=-log[Cl])

・制約条件R1 = [Cl](Cc[Ag]) = 0, 
      R2 =
μcalμo = 0 
計算結果の例を-に示します。  

-
2024-09-08-fig2-1
2024-09-08-fig2-2


-には、-に示したような計算から得られた溶解度(「イオン強度効果+共通イオン効果+錯生成効果」)に加えて、「共通イオン効果のみ」および共通イオン効果+錯生成効果の溶解度を示しています。同時に、高濃度塩酸に対するAgCl溶解度の「実測値」もプロットしています。   

-
2024-09-08-fig5

-から明らかなように、およそ[Cl]=10^-4 mol/L未満では溶解度に対して共通イオン効果のみが影響し、10^-4 mol/L以上ではこれに錯生成効果が加わり、さらに2 mol/L以上ではイオン強度効果が大きく影響してくることが分かります。また、イオン強度の効果を考慮に入れると、溶解度の計算値は実測値とよく一致することが分ります。