前回(2024-10-20)は、「0.1 molの硝酸鉄(III)を水に溶かして1Lにすると、水酸化鉄(III)が一部沈殿する」という計算結果になりましたが、これは事実に反します。したがって今回は、NO3-錯体、多核錯体の生成や活量係数補正を考慮に入れて、もう少し厳密に平衡計算を実施します。
<<より厳密な平衡計算>>
Cfe=0.1 mol/L硝酸鉄(III)水溶液の化学種濃度を、エクセルのソルバー機能を用いて求めます。水酸化鉄(III) (Fe(OH)3)の沈殿については、無定形沈殿(pKsp=38.8)を想定します。様々なイオン強度における平衡定数値を図-1に示します(出典:R. M. Smith and A. E. Martell, "Critical Stability Constants,
vol. 4")。以下、この値を用いて話を進めます。
<関係式>
・溶解度積
Fe(OH)3(s) ⇄ Fe3+
+ 3OH-
Ksp = [Fe][OH]^3
・単核OH錯体
Fe3+ + OH- ⇄ FeOH2+
β1 =
[FeOH]/([Fe][OH])
Fe3+ + 2OH- ⇄ Fe(OH)2+
β2 = [Fe(OH)2]/([Fe][OH]^2)
Fe3+ + 3OH- ⇄ Fe(OH)3(aq)
β3 = [Fe(OH)3]/([Fe][OH]^3)
Fe3+ + 4OH- ⇄ Fe(OH)4-
β4 = [Fe(OH)4]/([Fe][OH]^4)
・多核OH錯体
2Fe3+ + 2OH- ⇄ Fe2(OH)24+
β22 = [Fe2(OH)2]/([Fe]^2[OH]^2)
3Fe3+ + 4OH- ⇄ Fe3(OH)45+
β34 = [Fe3(OH)4]/([Fe]^3[OH]^4)
・NO3錯体
Fe3+ + NO3-
⇄ FeNO32+
βn = [FeNO3]/([Fe][NO3])
<イオン強度の影響>
濃度平衡定数はイオン強度(μ)の影響を受けます。次式のような「修正デービス式」を用いて活量係数補正を行い、濃度平衡定数を求めます。
logγ = -0.5×z^2×(√μ/(1+√μ)-kμ) …①
(γ:活量係数。z:イオンの電荷。k:実験値の回帰式から求めた値)
したがって、
1価イオンは、logγ1 = -0.5(√μ/(1+√μ)-kμ)
2価イオンは、logγ2 = 4logγ1
3価イオンは、logγ3 = 9logγ1
4価イオンは、logγ4 = 16logγ1
5価イオンは、logγ5 = 25logγ1
0価の種は、logγ0 = 1
となり、各平衡定数は、
β1=[FeOH]/([Fe][OH])=β1o/γ2/(γ3γ1)=β1o/γ1^4/(γ1^9γ1)=β1oγ1^6
β2=[Fe(OH)2]/([Fe][OH]^2)=β2o/γ1/(γ3γ1^2)=β2o/γ1/(γ1^9γ1^2)=β2oγ1^10
β3=[Fe(OH)3]/([Fe][OH]^3)=β3o/γ0/(γ3γ1^3)=β3o/γ0/(γ1^9γ1^3)=β3oγ1^12
β4=[Fe(OH)4]/([Fe][OH]^4)=β4o/γ1/(γ3γ1^4)=β4o/γ1/(γ1^9γ1^4)=β4oγ1^12
β22=[Fe2(OH)2]/([Fe]^2[OH]^2)=β22o/γ4/(γ3^2γ1^2)=β22o/γ1^16/(γ1^18γ1^2)=β22oγ1^4
β34=[Fe3(OH)4]/([Fe]^3[OH]^4)=β34o/γ5/(γ3^3γ1^4)=β34o/γ1^25/(γ1^27γ1^4)=β34oγ1^6
βn=[FeNO3]/([Fe][NO3])=βno/γ2/(γ3γ1)=βno/γ1^4/(γ1^9γ1)=βnoγ1^6
Ksp=[Fe][OH]^3=Kspo/(γ3γ1^3)=Kspo/(γ1^9γ1^3)=Kspo/γ1^12
Kw=[H][OH]=Kwo/γ1^2
となります(太字oはµ=0における平衡定数(熱力学的平衡定数))。
修正デービス式のkの求め方は次の通りです。
各平衡定数について、①式のkに初期値を与えて求めたlogβ(cal)と実測値のlogβ(exp)(図-1)との偏差平方和(∑E^2)を求め、この偏差平方和が最も小さくなるようなk値をエクセルのソルバーによって求めます。
E = logβ(cal)-logβ(exp)
∑E^2 = ∑(logβ(cal)-logβ(exp))^2
目的セル:偏差平方和(∑E^2) (目標値:最小値)
変数セル:k
実測値としては"Critical Stability Constants"の値を用いました。結果を図-2, 図-3に示します。
β3については"Critical
Stability Constants"にデータがないので、仮にlogβ3 = 30、k=0.2としました。
β4については、β4o(μ=0)のデータのみしかないのでkを求めることはできません。ここでは仮にk=0.2としました。
<化学種濃度>
●硝酸鉄(III)を純水に溶かした溶液の化学種濃度
Fe(NO3)3を純水に溶かして調製したCFe=0.1
mol/L硝酸鉄(III)溶液の化学種濃度を計算します。
・電荷バランスは、
Q = [H]-[OH]+3[Fe]+2[FeOH]+[Fe(OH)2]-[Fe(OH)4]
+4[Fe2(OH)2]+5[Fe3(OH)4]+2[FeNO3]-[NO3]
・Fe(III)の物質バランスは、水酸化鉄(III)の沈殿が生じないと仮定した場合([Fe][OH]^3<Ksp)、
Cfe = [Fe'] = [Fe]+[FeOH]+[Fe(OH)2]+[Fe(OH)3]+[Fe(OH)4]+2[Fe2(OH)2]+3[Fe3(OH)4]+[FeNO3](*3)
(*3) 単核錯体だけの場合は、[Fe']は[Fe]の1次関数であり、[Fe']=[Fe]αの式(αは[Fe]と無関係)を用いて[Fe]を簡単に求めることができる。しかし多核錯体を含む場合、
[Fe'] = [Fe]+β1[Fe][OH]+β2[Fe][OH]^2+β3[Fe][OH]^3+β4[Fe][OH]^4+2β22[Fe]^2[OH]^2+3β34[Fe]^3[OH]^4+βn[Fe][NO3]
[Fe']は[Fe]に関する3次関数となり、[Fe']=[Fe]αの関係式を用いることができない。このような場合、エクセルのソルバー機能の使用が有効である。
・NO3の物質バランスは、
Cn = 3Cfe = [NO3'] = [FeNO3]+[NO3]
・イオン強度は、
µo = µcal = ([H]+[OH]+9[Fe]+4[FeOH]+[Fe(OH)2]+[Fe(OH)4]
+16[Fe2(OH)2]+25[Fe3(OH)4]+4[FeNO3]+[NO3])/2
・化学種iの活量係数は、
logγ1(i) = -0.5(√μ/(1+√μ)-k(i)μ)
・濃度平衡定数は、
β1=β1oγ1^6
β2=β2oγ1^10
β3=β3oγ1^12
β4=β4oγ1^12
β22=β22oγ1^4
β34=β34oγ1^6
βn=βnoγ1^6
Kw=Kwo/γ1^2
Ksp=Kspo/γ1^12
・化学種濃度は、
[H] = 10^-pH
[OH] = Kw/[H]
[Fe] = 10^-pFe
[FeOH] = β1[Fe][OH]
[Fe(OH)2] = β2[Fe][OH]^2
[Fe(OH)3] = β3[Fe][OH]^3
[Fe(OH)4] = β4[Fe][OH]^4
[Fe2(OH)2] = β22[Fe]^2[OH]^2
[Fe3(OH)4] = β34[Fe]^3[OH]^4
[FeNO3] = βn[Fe][NO3]
[NO3] = 10^-pNO3
これらの関係から、エクセルのソルバー機能を用いて、各化学種濃度を求める。パラメータ設定は次の通り。
・目的セル:電荷バランス、Q = 0
・変数セル:pH, pFe, pNO3, μo
・制約条件:Rfe
= Cfe-[Fe'] = 0
Rn = Cn-[NO3'] = 0
Rµ = μcal-μo = 0
計算結果を図-4に示します。
図-4

NO3-錯体、多核錯体の生成や活量係数補正を考慮に入れて計算すると、イオン積は、[Fe][OH]^3=2.65×10^-38<Ksp=1.25×10^-37となり、0.1
mol/L硝酸鉄(III)では、「Fe(OH)3の沈殿は生じない」という結果になりました。また、0.1
mol/L硝酸鉄(III)のpHc(=-log[H])は1.59となりました。



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