硫化水素は水に溶けて硫化物イオン(S2-)を生成し、S2-は多くの金属イオンと反応して金属硫化物沈殿を生成します。この硫化水素に関して、水への溶解と酸塩基平衡、および金属硫化物の溶解度積と溶解度の関係について説明します。
<<硫化水素の溶解と酸塩基平衡>>
硫化水素(H2S)は水に溶けて2価の弱酸になります。金属硫化物の溶解度を考察する前に、硫化水素水自身の酸塩基平衡について考えます。
<酸塩基平衡>
硫化水素(H2S)は2価の弱酸で、水中で次のように電離します。
H2S ⇆ H+ + HS-
HS- ⇆ H+
+ S2-
酸解離定数は、次の通りです。
K1 = [H][HS]/[H2S]
K2 = [H][S]/[HS]
硫化水素の全濃度をCsとすると、
Cs = [S]+[HS]+[H2S]
= [S](1+[H]/K2+[H]^2/(K2K1))
ここで、αs = 1+[H]/K2+[H]^2/(K2K1)とすると、
Cs = [S]αs
と表せます(αsは[H]のみの関数)。
したがって、硫化水素に関する化学種の濃度は、
[S] = Cs/αs
[HS] = [H][S]/K2
[H2S] = [H][HS]/K1
となり、pHに依存します。
<H2Sの全濃度Csが一定のときの化学種濃度>
上記の関係式から、硫化水素の全濃度Csが一定(例えば、Cs=0.1 mol/L)のとき、各pHにおける化学種(H2S, HS-, S2-)の濃度は図-1のようになります。図から明らかなように、pH≲6の酸性域においてはH2S分子が主な化学種であり、HS-やS2-濃度は非常に小さいことが分かります。つまり、[H2S] >> [HS] >> [S] なので、Cs≒[H2S]となります。
一方、8≲pH≲10の塩基性領域では、
[HS] >> [H2S] >> [S]
となります。
K1= 1×10^-7,
K2 = 1×10^-14, Cs= 0.1 mol/Lとすると、pH=1 ([H]=0.1 mol/L)のとき、[S]=1×10^-22 mol/Lとなり、またpH = 9のときは、[S]=1×10^-7
mol/Lとります。
このように、[S]はpHの値によって大きく変化します。
図-1 硫化水素の化学種濃度の分布(Cs=0.1 mol/Lの場合)
K1= 1×10^-7, K2 = 1×10^-14

図-1から分かるようにCs=0.1 mol/Lの場合、酸性域ではおもな化学種はH2Sであり、Cs≒[H2S]≒0.1 mol/Lとなりますが、塩基性域では、おもな化学種はHS-であり、Cs≒[HS-]≒0.1>[H2S]となります。
S2-については、log[S]はpH7付近で線の傾きが変化します。
<H2Sを常に吹き込んで飽和させた溶液の化学種濃度>
硫化水素のガスを水中に通じると、最初、硫化水素ガスは全量水中に溶け込みますが、ある程度を越えると、もうこれ以上は溶けないで、余剰のガスは大気中に出てしまう状態になります。この状態を「飽和」と言います。
硫化水素を水中に吹き込み続けて常に飽和状態を保つと、室温で硫化水素を飽和させた溶液のH2S分子の濃度([H2S])はpHに関係なく0.1 mol/Lで一定となります(*1)。
(*1) H2Sの溶解度について: ヘンリーの法則p=EX(ヘンリー定数E = 483
(atom/モル分率, at 25℃)から気相中H2S
1atmにおける溶液のモル分率Xは、X=1/483=2.07×10^-3 。
したがって、H2S 1atom における溶液中のH2Sのモル濃度[H2S]は、
[H2S] = 1000Xρ/{(34.09-18.02)X+18.02} ≒ 0.115
mol/L (ρ≒1とする)
常にH2Sガスを吹き込んで飽和状態にした溶液に接面する大気中ではH2Sガスがほぼ1atm になると考えられる。したがって、溶液中のH2Sの濃度は、[H2S]=0.115≒0.1 mol/Lとなる。
硫化水素の場合、水中ではH2S分子以外に一部電離して、HS-イオン、S2-イオンが生成し、[HS]、[S]は溶液のpHによって変化します。しかしpHがどのように変化しようと、飽和状態では、[H2S]=0.1 mol/L(一定)となります。
H2S飽和状態におけるpHと化学種(H2S,
HS-, S2-)の濃度の関係は、図-2のようになります(*2)。
(*2) この場合、pHが7を超えるとCsは増加する。実際にはNa2Sの溶解度等の制限があるので、Csには限度がある。
図-2 硫化水素の化学種濃度の分布(常に飽和状態の場合)
K1= 1×10^-7, K2 = 1×10^-14

図-2から分かるように、硫化水素を飽和させた場合、酸性域(pH≲6)ではおもな化学種はH2Sであり、図-1と同様、Cs≒[H2S]≒0.1 mol/Lとなりますが、塩基性域では、おもな化学種はHS-であり、図-1と異なり、Cs≒[HS-]>[H2S]≒0.1 mol/Lとなります。このように、一定量のH2S(ああるいはその塩)を加える場合と、常にH2Sを飽和させる場合とでは、化学種分布が異なります。
S2-については、log[S]は全pHにわたって正比例します。
例えば、0.3 mol/LのHClとx mol/LのNH3を含む溶液にH2Sを十分に通じてH2Sを飽和させたときの溶液のpH求めます。エクセルを用いて二分法で行った計算の例を図-3に示します。また全NH3濃度xとpHの関係を図-4に示します。
図-3 二分法による計算結果(抜粋)

図-4 0.3 M HClおよびx M NH3にH2Sを飽和させた溶液のpH
K1= 1×10^-7, K2
= 1×10^-14

<<金属硫化物の沈殿平衡>>
硫化物イオンS2-は多くの金属イオンと反応して難溶性の硫化物沈殿を生成します。
たとえば、n価の金属イオン(Mn+)に対しては、次の溶解平衡が成立します。
M2Sn ⇆ 2Mn+ + nS2-
このとき溶解度積は次式で与えられます。
Ksp = [M]2[S]n
特に2価の金属イオン(M2+)では、
MS ⇆ M2+ +S2-
Ksp = [M][S]
となります(*3)。
(*3) Mが2価以外の金属イオンのとき、たとえばAg2SやBi2S3では、Ksp=[Ag]2[S], Ksp=[Bi]2[S]3となる。
前項でも述べたように、一定量のH2S(あるいはその塩)を加える場合と、常にH2Sを飽和させる場合とでは、酸塩基平衡の状態が異なり、金属硫化物沈殿の様子も異なります。
<溶解度積と溶解度の関係>
2価の金属イオン(M2+)ついて考えます。また、ここではM2+の副反応(錯形成反応等)は考えません(*4)。
(*4) 実際には、多くの金属イオンは水酸化物錯体や硫化物錯体を生成する。例えばAg+については, AgOH, AgS-, Ag(HS),
Ag(HS)2-などの錯体が存在することが知られている。
(1) 共通イオンがないとき
2価の金属イオンの硫化物MSをM, Sと無関係な溶液(たとえば水やHNO3水溶液)に溶解する場合について考えます。sをモル溶解度(mol/L)とすると、M2+は溶液中で副反応を起こさずM2+のままなので、s = [M]となります。
また、もし仮にS2-がもしそのままならばs=[S]ですが、しかしH2Sは弱酸でありS2-は加水分解を起こしてHS-やH2Sになるので、sは[S], [HS], [H2S]の合計となります。
つまり、
s = [M] = [S] + [HS] + [H2S]
という関係が成立します。
H2Sの酸解離定数をK1, K2とすると、
s = [S](1 + [H]/K2 + [H]2/(K1K2))
= [S]αs
ここで、αs= 1 + [H]/K2
+ [H]2/(K1K2)
また、MSの溶解度積をKspとすると、
Ksp = [M][S]
したがって、
s = [M], s = [S]αs
s2 = [M][S]αs= Kspαs
s =√(Kspαs) …①
αsは[H]のみの関数なので、[H]を与えると溶解度sが決まります。
(2) 共通イオンがあるとき
MSの溶解度に比べて高濃度である硫化水素を含む溶液に対するMSの溶解度を考えます。この場合、共通イオン効果が働きます。
硫化水素水溶液の全濃度をCsとすると、
Cs = [S] + [HS] + [H2S] = [S]( 1+ [H]/K2 + [H]2/(K1K2))
[S] = Cs/αs (ここで、αs=
1+ [H]/K2 + [H]2/(K1K2))
したがって、MSの溶解度をs(mol/L)とすると、
[M] = s, [S] = (Cs+s)/αs
Ksp = [M][S] = s(Cs+s)/αs
硫化水素水濃度がMSの溶解度に比べて非常に高い場合は、Cs+s≒Csなので、
s = Kspαs/Cs
…②
となります。
<H2S飽和溶液への硫化物の溶解度>
H2S飽和溶液では、[H2S]は約0.1 mol/Lで一定です(図-2参照)。硫化水素ガスが常に溶液中に吹き込まれている場合はこの条件が成立する、と考えてよいでしょう。以下、「H2S飽和溶液で[H2S]=0.1 mol/Lが成立する」とします。
硫化水素は酸性域においては、大部分がH2Sとして存在して、HS-, S2-イオンは微量しか存在しません。しかしS2-イオンが微量でも沈殿が生成する限りKsp
= [M][S]の関係は成立します。
[S]はK1K2から求めることができます。
K1K2 = [H]2[S]/[H2S]
H2S飽和溶液では、[H2S]=0.1なので(*5)、
[S] = 0.1K1K2/[H]2
(*5) 硫化水素ガスが常に吹き込まれていなくても、飽和した硫化水素が金属イオンに対して大過剰にあれば、沈殿が生成しても[H2S]=0.1 mol/Lの条件は成立する、と考えてよい。
したがって、H2S飽和溶液([H2S]=0.1 mol/L)への硫化物(MS)の溶解度は、K1 = 1×10^-7, K2
= 1×10^-14のとき
s =[M] = Ksp/[S] = Ksp[H]^2/(K1K2[H2S])
=10^22×Ksp[H]^2 …③
となります。
もしM2+の副反応(錯形成反応等)を考える場合は、M2+のα係数(副反応係数)をαMとすると、
s =[M]αM = KspαM/[S] = KspαM[H]^2/(K1K2[H2S])
=10^22×KspαM[H]^2 …④
となります。
<H2S飽和溶液のpH>
酸(例えば塩酸)を加えて強酸性にした溶液に硫化水素を飽和させて硫化物沈殿を生成させる場合は、H2Sを吹き込んだ後の溶液のpHは元のpHとほとんど変わりません。
しかし、中性・塩基性の溶液の場合は、話が少し複雑になります。硫化水素は酸なので、元の溶液が塩基性の場合、硫化水素を吹き込み続けると、pHは低くなります。したがって、特定のpHで硫化物沈殿を作りたい場合は、緩衝剤(たとえば、NH3+NH4Cl)を添加して適切なpHを保つ必要があります。
金属硫化物が共存する場合、pHを上昇させると、水酸化物錯体の生成が顕著になります。また、たとえばNH3を含む溶液ではアンミン錯体の生成も考慮する必要があります。このように平衡が複雑となるときは、エクセル-ソルバーを用いた解析法が有効です。
*****
以上、硫化物に関して溶解度積から理論的に溶解度を求める方法を説明しましたが、この理論的溶解度と実際の硫化物の溶解度は大きく乖離していることがしばしばです。これについては今後いくつかの例について言及したいと思います。
コメント