これまで滴定として、酸塩基滴定(2023-06-25)、EDTA滴定(2024-05-03)を取りあげましたが、今回は沈殿滴定を考えます。よく利用される沈殿滴定の一つは、硝酸銀標準溶液による塩化物の定量です。これを例にして沈殿滴定を説明します。
<<全濃度と平衡濃度の関係>>
銀標準溶液による塩化物の滴定を考える前に、全濃度(Ccl
mol/L)一定の塩化物溶液(例えばNaCl)に濃度が違う銀溶液(例えばAgNO3)を加えること考えます。銀溶液の添加による体積の変化はないものとし、混合後の銀の全濃度をCag mol/Lとします。銀溶液の添加によってAgClの沈殿が生成すると、沈殿生成後の溶液中の銀イオンおよび塩化物イオンの平衡濃度([Ag], [Cl] mol/L)はCag, Cclとは異なってきます。このときのCagと[Ag], [Cl]の関係を求めます(銀の塩化物錯体や水酸化物錯体の生成は無視する)。
物質バランスから、
Cag = [Ag]+[ppt] …①
Ccl = [Cl]+[ppt] …②
ここで、[ppt]は溶液1 LあたりのAgCl沈殿のモル数。
①, ②式から、[ppt]を消去すると、
Cag-Ccl = [Ag]-[Cl] …③
の関係が成立します。
また、AgClの沈殿が生成するとき、沈殿平衡が成立するので、
Ksp = [Ag][Cl] …④
したがって、③, ④式から、
Ccl-Cag = [Ag]-Ksp/[Ag] …⑤
の関係が成立します。
⑤式において、Ccl, Kspは一定なので、Cagに対する[Ag]を求めることができます。⑤式の解き方としていくつかの方法がありますが、次のような方法が代表的と思います。
(1) 当量点前、当量点、当量点後に分けて近似式を用いる方法
・当量点前(直前を除く)では[Cl]>>[Ag]なので、③式から、[Cl]=Ccl-Cag, [Ag]=Ksp/[Cl]
・当量点では[Cl]=[Ag]なので、[Cl]=[Ag]=√(Ksp)
・当量点後(直後を除く)では[Ag]>>[Cl]なので、③式から、[Ag]=Cag-Ccl, [Cl]=Ksp/[Ag]
(2) Cagを与えて、[Ag]を求める方法
⑤式を変形して、
[Ag]^2-(Ccl-Cag)[Ag]-Ksp = 0
Cagを与えて、解の公式を用いて[Ag]に関する2次方程式を解き、Cagと[Ag]の関係を求める。
[Ag] = {-(Ccl-Cag)+√((Ccl-Cag)^2+4Ksp)}/2
またこのとき、[Cl]=Ksp/[Ag]となる。
(3) [Ag]を与えてCagを求める方法
⑤式を変形して、
Cag = Ccl-[Ag]+Ksp/[Ag]
この式から、(2)とは逆に[Ag]を与えてCagを計算で求める(このとき、[Cl]=Ksp/[Ag])。
(4) エクセルのソルバーを用いる方法
ソルバーの設定条件として、
目的セル:Q=Cag-Ccl-[Ag]+[Cl]=0
変数セル:pCl
与件:[Ag]
[Cl] = 10^-pCl
ここでは、(4)「ソルバーを用いる方法」により、Ccl=0.1 mol/Lの塩化物溶液に初濃度がCagとなるよう銀溶液を加えたときの[Ag]および[Cl]を求めます(pKsp=10)(図-1)。また、Cagとlog[Ag], log[Cl]の関係を図示します(図-2)。
<<滴定曲線>>
前項の考察を基に、滴定曲線を求めます。前項では、溶液の体積は変化しないものとしましたが、実際の滴定では試料溶液に標準溶液を滴下すると溶液の体積が増加します。したがって、滴定曲線の作成にあたってはこの体積増加を考慮する必要が生じます。
具体的には、ビーカーに入ったCco mol/LのNaCl溶液V mLにCao mol/LのAgNO3標準溶液T mLをビュレットから滴下することを考えます。滴定途中のビーカー内の溶液(体積:V+T mL)の全塩化ナトリウム濃度および全硝酸銀濃度を、それぞれCc, Caとします。
物量バランスは、
Cc = CcoV/(V+T) = [Cl]+[ppt]
Ca = CaoT/(V+T) = [Ag]+[ppt]
この2式から[ppt]を消去すると、
CaoT/(V+T)-CcoV/(V+T) = [Ag]-[Cl]
溶解度積Ksp=[Ag][Cl]を代入すると、
CaoT/(V+T)-CcoV/(V+T) = [Ag]-Ksp/[Ag] …⑥
ここでは、前項の(2)「Cagを与えて、[Ag]を求める方法」を用いて滴定曲線を描きたいと思います。
⑥式を整理すると、
[Ag]^2+(CcoV/(V+T)-CaoT/(V+T))[Ag]-Ksp =
0
[Ag] = (-B+√(B^2+4Ksp))/2, ここで、B=CcoT/(V+T)-CaoV/(V+T) …⑦
⑦式に滴下量Tを与えて[Ag]および[Cl]=Ksp/[Ag]を求めることにより滴定曲線を描くことができます(*1)。
(*1)
⑦式は強酸-強塩基の滴定曲線の式と同様の形である(2023-06-25)。
<エクセルシートの作成>
Cco=0.1 mol/Lの塩化ナトリウムを含む溶液V=50 mLをCao=0.1 mol/Lの硝酸銀溶液で滴定する場合を考えます(滴下量T mL)。pKsp
= 9.57(μ=0.04)とします。
(1) Cco, V, Caoの値をセルC3~E3に入れる。pKsp値をセルG3に入れ、セルH3に計算式=-log(G3)を入れる(またはKsp値をセルH3に直接入れる)。
(2) T値を0.005~100 mLまで適当に刻んでC列セルC9~Cxxに入れる。
(なめらかな曲線を得るために、当量点付近ではTの刻みを小さくする)
(3) D9~K9に次の計算式を入れる。
・V+T:[D9=$D$3+C9]
・Ca = CaoT/(V+T):[E9=$E$3*C9/D9]
・Cc = CcoV/(V+T):[F9=$C$3*$D$3/D9]
・B=Cc-Ca:[G9=F9-E9]
・[Ag] = {-B+√(B^2+4Kw)}/2:[H9=(-G9+SQRT(G9^2+4*$H$3))/2]
・[Cl] = Ksp/[Ag]:[I9=$H$3/H9]
・log[Ag]:[J9=log(H9)]
・log[Cl]:[K9=log(I9)]
(4) D9:K9を範囲指定してCxx:Kxxまでコピーする。
(5) このシートを基に、散布図を用いて滴定曲線を描く。
<滴定曲線>
計算結果を図-3に示し、横軸にT, 縦軸にlog[Ag], log[Cl]を取ったときの滴定曲線を図-4に示します。
<滴定率>
ここで、滴定率φを次のように定義します。
φ= CaoT/(CcoV)
φを用いてTを表すと、
T = φCcoV/Cao
したがって、φを与えると⑦式を用いてφに対する滴定曲線を得ることができます。
横軸にφ, 縦軸にlog[Ag]を取ると、Cao, Cco, Vがどのように変化しても横軸は常に滴定開始前でφ=0.0、当量点でφ=1.0、当量点の2倍でφ=2.0のグラフを描くことができます(図-5)。このグラフを用いれば、たとえばCaoを変化させたときの滴定曲線の変化の様子が良くわかります(図-6)。
<終点の検出について>
図-4, -図-6から明らかなように、適切な滴定剤を用いると当量点においてlog[Ag]の急激な変化があり、滴定法の利用が可能であることが分かります。しかし実際に滴定法を利用するには、終点を見積もる適切な方法の存在が必要です。終点の検出には、電位差計による方法もよく用いられますが、指示薬を用いる方法が簡単で便利です。指示薬としてK2CrO4を用いるモール法もその一例です。この場合、当量点付近において丁度Ag2CrO4の赤色沈殿が生成するようにK2CrO4の濃度を適切に調節する必要があります。モール法については次回報告する予定です。






コメント