前々回(2025-09-07)、前回(2025-09-14)はキレート抽出平衡について考えました。今回はイオン対抽出です。たとえば、金属イオンが配位子と電荷を帯びた錯体を作るとき、そのままでは有機相に抽出されませんが、ここに反対の電荷を持った特定のイオンを加えると、イオン対を作って有機相に抽出されるようになります。このような抽出を「イオン対抽出」といいます。イオン対抽出は、工業的にも広く利用されている分離方法です。    

<<イオン対抽出の平衡>>
金属イオンの溶媒抽出について考えます。金属と錯体を作って生成した陽イオン(または陰イオン)が対となる陰イオン(または陽イオン)とイオン対を作ると有機溶媒によく抽出されるようになります。このような抽出方法をイオン対抽出(*1)といいます。イオン対抽出においては陽イオン、陰イオンともサイズが大きく、電荷の小さなイオンほど有機相によく抽出され、また用いる有機溶媒も比誘電率の高いものの方が、抽出率がよいことが知られています。
(*1) 「イオン対」は電荷符号の異なる1対のイオン(陽イオンと陰イオン)が静電的に結合した状態をいう。「イオン会合」は複数のイオン(陽イオン、陰イオン、溶媒など)が集合して、単なる静電的結合を超えたより大きな構造体を形成している状態をいう。ここでは、「イオン会合」も含め便宜的に「イオン対」と言う。   

イオン対抽出の平衡
イオン対抽出の平衡は、キレート系抽出に比べて取り扱いが複雑です。なぜならば、一般的に溶液の濃度が高いので活量係数による補正が困難なこと、また抽出に関与する化学種が多いため分配比の式が複雑になるからです。したがって、その取扱いは定性的にならざるを得ないのですが、ある仮定条件を置けば得られる分配比の式は実験値と良く一致する場合が多くあります。   

ここでは、金属イオンが錯体を作って陽イオンまたは陰イオンになり、反対電荷のイオンとともに抽出される場合を考えます。例えば、金属イオンを含む陽イオンとしてはトリスフェナントロリン鉄(II)([Fe(phen)3]2+)、金属イオンを含む陰イオンとしてはテトラクロロ鉄(III)(FeCl4-)などが挙げられます。   

イオン対抽出平衡の単純化したモデルを考えます。1価の陽イオンをM+1価の陰イオンをA-とし、M+A-型のイオン対の溶媒抽出を考えます。金属イオンはM+に含まれる場合とA-に含まれる場合がありますが、平衡の取り扱いは同じなので、ここでは金属イオンはM+に含まれるものとします。
水相と有機相では次の平衡が成立しているものとします。 

2025-09-21-fig0-1

平衡反応式および平衡定数は次のとおりです。
Mo+
Ao- MAo (
有機相中でのイオン対生成)
 Kfo = [MA]o/([M]o[A]o) …①
Mw+
Aw- MAw (
水相中でのイオン対生成)
 Kfw = [MA]w/([M]w[A]w) …②
Mw+
Mo+ (M
の分配)
 Kdm = [M]o/[M]w …③
Aw-
Ao- (A
の分配)
 Kda = [A]o/[A]w …④
MAw- MAo- (MAの分配)
 Kdma = [MA]o/[MA]w …⑤   

このとき、Mに関する分配比Dmは、
Dm
([MA]o[M]o)/([MA]w[M]w) …⑥
で与えられます。
⑥式に①~⑤式を代入して整理すると、
Dm
([MA]o[M]o)/([MA]w[M]w)
= [MA]o(1
1/(Kfo[A]o)/([MA]w(11/(Kfw[A]w))
したがって、
Dm = Kdma(1
1/(Kfo[A]o))/(11/(Kfw[A]w)) …⑦
という関係が得られます。   

さらに、水相中でのイオン対生成が無視でき、かつ有機相中でイオン対の解離がある場合(下図)は、
Dm
([MA]o[M]o)/[M]w = Kdm(1KfoKda[A]w) …⑧
という関係が得られます。一般に、誘電率の大きな有機相を用いた場合は⑧式が成立します。   

2025-09-21-fig0-2a

<<イオン対抽出の例>>
以下、金属イオンに関するイオン対抽出の代表的例のいくつかを示します。イオン対抽出の抽出機構は複雑であり、まだ十分に解明されていないことも数多くあります。
トリスフェナントロリン鉄()錯体 - 過塩素酸イオン
()は無電荷のフェナントロリン(phen)と反応してトリスフェナントロリン-(II) ([Fe(phen)3]2+)の陽イオンキレート錯体を作ります。この錯体自体は陽イオンであり有機溶媒に抽出されませんが、これにサイズの大きな陰イオンたとえば過塩素酸イオン(ClO4-)が共存すると、イオン対を作ってニトロベンゼン等の有機溶媒に抽出されます。
Fe(phen)32+
2ClO4- [Fe(phen)3(ClO4)2]o   

同様の例として、ビスマス-チオ尿素錯体(Bi(tu)23+)と過塩素酸イオン(ClO4-)によるイオン対のMIBK抽出があります。
Bi(tu)23+
3ClO4- [Bi(tu)2(ClO4)3]o    

()の塩化物錯体 - 水和ヒドロニウムイオン - 含酸素溶媒
()は塩酸溶液中で陰イオン錯体FeCl4-を生成し、三水和ヒドロニウムイオンH(H2O)(H2O)3(2023-03-19)とイオン対を作り、ブレンステッド塩基ともいえるジエチルエーテル、メチルエチルケトン(MIBK)、酢酸エチルなどの酸素原子を含む有機溶媒と溶媒和して抽出されると考えられます(*2)
(*2) 有機相の酸塩基滴定およびカールフィッシャー法による測定の結果、H+H2O=14の比になっていることが分かった。   

同様の機構で、塩化金酸イオン(AuCl4-)はジブチルカルビトール [ビス-(2-ブトキシエチル)-エーテル:DBC]]に抽出され、これは金の工業的な湿式精錬によく利用されます。   

()の塩化物錯体 - トリ-n-オクチルアミン(R3N)
Fe()の塩酸溶液からFe()はトリ-n-オクチルアミン(R3N)のキシレン溶液に抽出されます。抽出機構は次のように考えられます。
塩酸をR3Nのキシレン溶液と振り混ぜるとR3Nはプロトン付加して陽イオンになり塩化物イオンとイオン対を生成して有機相に抽出されます。
(R3N)o H+ Cl- (R3NH+Cl-)o
(R3NH+
Cl-)o
は、FeCl3と反応して、R3NH+FeCl4-というイオン対として有機相に抽出されます。
(R3NH+
Cl-)o FeCl3 [R3NH+FeCl4-]o   

同様の機構で、Zn(II)(R3NH+)2ZnCl42-として有機相に抽出されます。
2(R3NH+・Cl-)o + ZnCl2 ⇄ [(R3NH+)2・ZnCl42-]o   

硝酸ウラニル リン酸トリブチル(TBP)
ウラニルイオン(UO22-)の硝酸溶液をリン酸トリブチル(TBP)と振り混ぜると、ウラニルイオンはUO2(NO3)2(TBP)2として有機相に抽出されます
(*3
UO22- 2NO3- 2(TBPH2O)o [UO2(NO3)2(TBP)2]o 2H2O
この方法は、ウラン精鉱からのウラン精製あるいは使用済燃料再処理の溶媒抽出プロセスで使用されています。
(*3
抽出機構の解析は次の通り。
TBP
による硝酸ウラニルの抽出反応を、
UO22-
mNO3- n(TBPH2O)o [UO2(NO3)m(TBP)n]o 2H2O
とする。
このとき、抽出定数Kexは、
Kex = [UO2
(NO3)m(TBP)n]o/([UO2]w[NO3]wm[TBP]on)
また、ウランに関する分配比Dは、
D = [UO2
(NO3)m(TBP)n]o/[UO2]w
したがって、
D = Kex[NO3]wm[TBP]on
ここで、有機相中のTBP濃度[TBP]oを一定にし、水相中の硝酸イオン濃度[NO3]wを変化させてDを求め、対数を取ると、
logD = (logKex
nlog[TBP]o)mlog[NO3]w
(logKex
nlog[TBP]o)は定数となるので、log[NO3]wlogDのグラフを描くとその傾きから、mの値を決定できる。
同様に、水相中の硝酸イオン濃度[NO3]wを一定にし、有機相中のTBP濃度[TBP]oを変化させてDを求めると、
logD =(
定数)nlog[TBP]o
から、nの値を決定できる。
(Kex
は定数。また、Dの値は化学分析により簡単に求めることができる。)
実験の結果、硝酸濃度、TBP濃度が低いときは、m=2, n=2であることが分かった。また、水素
イオン濃度はDに無関係であった。   

クラウンエーテル-カリウム錯体 - ピクリン酸イオン
アルカリ金属イオンはクラウンエーテルと錯体を作ります。たとえばカリウムイオンは18-クラウン-6と安定度の高い錯体を作ります(下図)。   

2025-09-21-fig0-3

これは18-クラウン-6の空孔径(0.15 nm)がカリウムイオンのイオン径(0.133 nm)によく合っているためです。この錯体はピクリン酸イオンとイオン対を作り、1,2-ジクロロエタンなどの溶媒に抽出されます。この抽出平衡の詳細は次回述べます。